生きよう
生きよう 後悔しないよう
やさしく 生きよう
愛おしく 自分を あいして
イソップ童話に「粉屋とロバ」という話があります。
≪あらすじ≫
粉屋の親子が、町の市場へロバ引いて売りに行きます。
二人を見た人が「ロバに乗っていけば良いのに。」と言っているのを聞いた父親は、なるほどと思い子供をロバに乗せました。
しばらく行くと「子供が年寄りを歩かせて平気でいる。なんと悪い世の中だろう。」と言っているのを聞き、今度は父親がロバに乗りました。
またしばらく行くと、「親が子供を歩かせて平気でいる。二人とも一緒に乗っていけば良いのに。」と言っているのを聞きました。父親は、子供も一緒に乗せました。
後ろから来た人が言いました。「いっぺんに二人も乗るから、ロバは弱ってしまってる。二人で担いで運んでやれば良いのに。」なるほどと思った父親は、ロバの四本足を綱で縛って棒でかつぎました。
町まで来ると、「この暑いのに、ロバをかついで行くなんて、頭が変だ。」と、
この町の人達が二人を取り巻いて大騒ぎをしたので、
びっくりしたロバが暴れ出し、ロバは川に落ちて死んでしまいました。
このお話は、すっごくこの世の中を警告したものなんじゃないか。って思うんです。
いろんな人が、いろんなことを言ってきます。
だけど、自分の考え方を通すには、まず自分を好きであることが必要なんじゃないかな。と思うんですよね。
この親子が、ロバを引っ張ってること。ロバを引っ張ってる自分たちが好きであれば
こんなにも、ころころと変わらなかったし、不幸な結果にならなかったと思うんです。
世の中で生きていく中で、自分を好きでい続けることって、時々心が折れそうになることがあります。
「あれっ、私何か違うのかな?」って不安になったり・・・
そういう迷った時、そこで立ち止まって自分を客観視してみることも非常に大切なことなんです。
客観視した後は前向きに「好きに歩こう。」とか「ぎこちない自分もかわいいじゃん。」とか
ふらふらと皆の言うことに悩む自分も、「だけど愛しいじゃん。」とかポジティブに考えて、
最終的には「自分を好き」という域まで戻して、それからまた歩くことっていうのが、
これからの人生の中にとっても必要になってくると思います。
だいぶ前の話なんですが、車を購入してしばらくしてウォッシャー液が出なくなったんです。
私は真面目に、「新車なのにもう壊れた」って思いました。
ウォッシャー液が出なくなった = 車が壊れた
と思った私は、意気揚揚と車の販売店へと向かいました。
ただ、こういう仕事もしているし、文句を言ったり強く出ちゃいけないな。と思って
「すみません、このウィンドーの水が出なくなったんですけど・・・」と店員さんに言ったら、
ほんっとうに気軽に「あぁ、ウォッシャー液切れたんですね」って言われて、
ものの10分くらいですぐ入れ替えてくれました。
「えっ?」 完全に拍子ぬけしました。
機械音痴な私には「ウォッシャー液が切れる」という概念が無くって
まぁ、普通に考えるとおかしな話なんですが、
あの液は永久にどこからともなく出てくるものだと思ってたんです。
ガソリンスタンドなんかで知らないうちに補充してもらっていたのかもしれませんが、
今まで、何台か車を乗り換えてきた中で、たまたま「ウォッシャー液が切れる」ということが起こらなかっただけだったんでしょうけど、
ほんの5年前に、この歳になって初めて、
「ウォッシャー液は永久に出てくるもんじゃなかったんだな。」
っていうことがわかりました。
派手にを恥かく前にわかってよかったな。
この話は絶対人には言えないな。っと思って販売店を後にしました。
こういうエピソード。恥ずかしながら、結構あります。
私はバイオリズムが毎年6、7月はあんまり良くないので、
一年間を通して、6、7月は無理をしないようにしているんです。
たまたま今年の6月は忙しくって、でも健康的には何も支障が無かったので
今年はセーフなのかな? っと思いながら6月が終わり、
7月1日になった瞬間に、家中の家電製品が動かなくなったんです。
洗濯機、掃除機、冷蔵庫、ドライヤー、カーラー、レンジ、アイロン、エアコン
家中の家電という家電が、動かなくなってしまいました。
しかも、電気屋さんに見てもらっても異常無いと言われるし
見てもらった時には普通に動いたりするんです。
人と人の様に、物と人にも相性があると思うんですが、私はあまり電化製品と相性が良くないんです。
電化製品たちもあまり私のことを好きではないのかな?
5?6年前にも同じように、バイオリズムは落ちてるのに体調が良かった時
電化製品が一気に壊れたことがありました。
でも買い替えずに、一ヶ月間休ませてみたりすると、1個づつ復活し始めるんです。
不思議な位に、バイオリズムが落ちたのと家電が落ちるのが同時に起きます。
物にはエネルギーってあるんだな。まして、私と相性の悪い電化製品がマイナスオーラを取るんだなぁ。
なんか不思議。と思いながら、はっきりとしたことは解明できないままです。
人間の波動のように、物にも波動があって
私が落ちなかった分、相性の悪い波動の方が落ちたのかな。なんて考えたりします。
私が3日くらい休んで「体調いいなぁ。」って思う時にはクーラーとかガンガン効くのに
「さぁ仕事」っと思ってスイッチをつけけたらつかない。
だから、物ってしゃべりはしないけど、
物にも命や気持ちってあるのかな? って時々思います。
植物に話しかけると花がきれいに咲くとかはよく聞く話ですけど、
物にも実は、労いの言葉が必要なのかなって思います。
ただドアがあるんじゃないんだよ。ドアも閉められながら、命あるんだよ。と思う気持ちや、
頑張って開け閉めしているドアに向かって「ドアも頑張ってるよね」とか思う気持ちも、ちょっとは必要なのかなって思います。
最近は、エアコンを拭いてきれいにしてあげて「頑張ってるよね」って労ってみたりします。
物って別に言葉を言ってるわけではなく、何かを発したりしてるわけじゃないんですけど、
毎年ちょっと疲れていた体が、今年は疲れなかったのは、実はこの子たちのお蔭なのかな?
電化製品たちが私のマイナスな物を取ってくれたのかな?
「物にも感謝だな」そう思います。
いじめの相談とか、職場の人間関係の相談とかって多いんですけど
いじめでもなんでも、「やられたらやり返す」っていう気持ちは、決して良いオーラを生みません。
例えば、人からいじめらたから、私も同じように人をいじめようとか
人に嫌がらせされたから、じゃあ私も嫌がらせをしよう。
そういったマイナスなことの繰り返しが、負のオーラの連鎖になっていきます。
負のオーラの連鎖がこの世の中から無くなったら、
人はもう少し、穏やかに暮らしていけるんじゃないかな。と思うんです。
これは最近のご相談であった
Aさん、Bさん、Cさんの三人での人間関係に悩んでいる高校生の女の子の話です。
Aさんは、Bさん、Cさんのどちらかを独占したいというタイプで
そうなると、どうしてもBさんとCさんのどちらかが一人になってしまう時があるんです。
AさんがBさんを独占してしまって、Cさんは一人ぼっちになってしまったそうです。
「どうしたらいいんでしょう? もう死にたいくらい辛い。」
Cさんはとても、悩んで苦しんでいました。
BさんはAさんと遊ぶ時に、Cさんにすごく気を使って申し訳なさそうにしているそうです。
『Aさんから誘われているんだけどBさんは、あなたの方が好きなのかもね。
あなたと居たい気持ちがあるんだけど、Aさんが強いから、
Aさんから「~しよう」って誘われたらBさんは押し切られてしまうんだろうね。
あなたも辛いと思うけど、あなたよりもBさんの方がもっと人間関係に悩んでいて、
もっと辛いんじゃないの? すっごく悩んでたりするんじゃないの?
あなたが今まで、二人のことを憎いなぁとか、羨ましいなぁと思っていた
マイナスな気持ちがあったら、それを少し変えて、
BさんがAさんとの関係に疲れた時に相談に乗ってあげたり、二人に普通に明るく接してみたり、
ちょっと二人との接し方を変えてみたら、きっと違った答えが出てくるよ。』
そんなアドバイスをCさんにしました。
悪いことが起こったり、悪い雰囲気だから、じゃあ自分は落ち込もう。とか
何かされたから、やり返そうとか、そういう「負」を感じさせるような解決方法は
決して良い結果になりません。
悪いことをされたら、それをちょっと良い方向の解釈に取ってみて。
良い結果になるように、考えて行動してみましょう。
他人を変えることはできないから、
自分の中で良い考え方、良いとらえ方に変えてみませんか。
負のオーラを、自分の中でプラスのオーラに変えてから連鎖するように
意識してみると、ぐっと生きやすくなってきますよ。
今日は、簡単で美味しいレシピをご紹介します。
タルタルソースを作るんですが、
サラダ菜なんかにのっけて食べてもおいしいし、ご飯にも、何にでもあうソースです。
ポイントはちょこっと「甘め」にすることと、
混ぜる具材を普通のタルタルソースよりも粗めにすること。
今回は焼いた豚肉の上にかけますが、お好みでいろんなおかずと合わせてみて下さい。
≪材料≫
豚薄切り肉5?6枚
片栗粉
塩コショウ
(粒コショウの方がスパイシーで良いです)
ゆでたまご 2個
玉ねぎ 少
ピクルス
レーズン
マヨネーズ
塩コショウ、さとう、マスタード(分量はお好みで)
≪作り方≫
ゆで卵を粗めに手でつぶし、玉ねぎ、ピクルスは刻んで、レーズン、マヨネーズと混ぜる。
※ピリ辛がお好みの方は、マスタードを入れる。
砂糖を加え、塩コショウで味を整える。
お肉を用意する間に、冷蔵庫で冷やしておく。
豚肉は広げて半分に切り、塩コショウで下味を付たら
両面にまんべんなく片栗粉をまぶす。
フライパンに多めに油をひいて、揚げ焼きにする。
焼き上がったお肉の上に、冷たいソースをかけて召し上がれ。
アツアツのお肉と、冷たいソースが絶妙な美味しさですよ。
「とりえがないのが とりえです」ってブログのタイトルなんですけど
「何かな?」って思った方が多いかなと思います。
「とりえがないのが とりえです」というのは娘の受験の時に色紙に書いた短い詩です。
これは決して「あなたには取り柄が無いのよ」と言っているのではなく、
むしろ娘へのエールのつもりで書いたものなんです。
あなたが私の娘で良かった。ここまで無事に元気に育ってくれてよかった。
そんな思いを込めました。
娘も私に似て、ごくごく普通のとりえの少ない子で、
でも、親の欲目かもしれませんが本当に優しい子なんです。
娘が進路に悩んでるときに、
”もう少し勉強していればよかった。もう少し美人だったら良かった。”など
思春期の子供に多い悩みを持っていた時。
別にいいんじゃないの? あなたには「やさしい」というとりえが一つあるんだし。
そんなこと考えなくても、あなたがここまで元気に育ってくれたのが「とりえ」だよ。
とりえがあることを求める環境であったり、社会だったりしますけど、わたしはとりえがないこともとりえのうちなんじゃないかなと思うんです。
今まで、元気に育ってきたのがとりえ。生きてるだけてもとりえのうち。
そう考えると、「とりえがないのがとりえ」ってなんだか素敵じゃないですか?
娘のように、多くの若い人たちが自分の”これからのこと”で悩んでいくと思います。
最近、ホームページのお悩み相談に恋愛相談とか、若い人からの相談がぐんと増えてきているんですが自分を責めるような「僕はダメだ」とか「私にはとりえがないです。」とかそういう意味合いのご相談が多いんです。
私は小学生の頃、前歯が大きいことを気にしていました。
体が小さい私にとって、”前歯が大きい”のは目立つし、すっごい悩みの種でした。
でも、思春期になって恋をした時に
初恋の人に「なんで私を好きになったの?」って聞いたら
「君のその前歯が可愛い」って言われたんです。
人生捨てたもんでじゃないな。と思ったことを思い出したりします。
自分が、欠点だ欠点だと思ってることが、意外と他人から見たらとりえだったり
とりえが無いないと思っていても、実は素敵なとりえを見逃してたり・・・
全ての人に、神様は何か一つとりえを下さっていると思います。
見ていただく方、私自身、家族を含めて「とりえがないのがとりえ」なんだ。
という、ポジティブさだったり、ちょっと自分自身をほめてあげる勇気だったり
そういったことで人生がステップアップされて欲しい。ステップアップになればいいな。
という思いを込めた名前が「とりえがないのが とりえです」なんです。
全ての人に愛をこめた言葉、私からのメッセージ。
それが、このブログであり、このタイトルです。