とりえがないのが とりえ?
「とりえがないのが とりえです」ってブログのタイトルなんですけど
「何かな?」って思った方が多いかなと思います。
「とりえがないのが とりえです」というのは娘の受験の時に色紙に書いた短い詩です。
これは決して「あなたには取り柄が無いのよ」と言っているのではなく、
むしろ娘へのエールのつもりで書いたものなんです。
あなたが私の娘で良かった。ここまで無事に元気に育ってくれてよかった。
そんな思いを込めました。
娘も私に似て、ごくごく普通のとりえの少ない子で、
でも、親の欲目かもしれませんが本当に優しい子なんです。
娘が進路に悩んでるときに、
”もう少し勉強していればよかった。もう少し美人だったら良かった。”など
思春期の子供に多い悩みを持っていた時。
別にいいんじゃないの? あなたには「やさしい」というとりえが一つあるんだし。
そんなこと考えなくても、あなたがここまで元気に育ってくれたのが「とりえ」だよ。
とりえがあることを求める環境であったり、社会だったりしますけど、わたしはとりえがないこともとりえのうちなんじゃないかなと思うんです。
今まで、元気に育ってきたのがとりえ。生きてるだけてもとりえのうち。
そう考えると、「とりえがないのがとりえ」ってなんだか素敵じゃないですか?
娘のように、多くの若い人たちが自分の”これからのこと”で悩んでいくと思います。
最近、ホームページのお悩み相談に恋愛相談とか、若い人からの相談がぐんと増えてきているんですが自分を責めるような「僕はダメだ」とか「私にはとりえがないです。」とかそういう意味合いのご相談が多いんです。
私は小学生の頃、前歯が大きいことを気にしていました。
体が小さい私にとって、”前歯が大きい”のは目立つし、すっごい悩みの種でした。
でも、思春期になって恋をした時に
初恋の人に「なんで私を好きになったの?」って聞いたら
「君のその前歯が可愛い」って言われたんです。
人生捨てたもんでじゃないな。と思ったことを思い出したりします。
自分が、欠点だ欠点だと思ってることが、意外と他人から見たらとりえだったり
とりえが無いないと思っていても、実は素敵なとりえを見逃してたり・・・
全ての人に、神様は何か一つとりえを下さっていると思います。
見ていただく方、私自身、家族を含めて「とりえがないのがとりえ」なんだ。
という、ポジティブさだったり、ちょっと自分自身をほめてあげる勇気だったり
そういったことで人生がステップアップされて欲しい。ステップアップになればいいな。
という思いを込めた名前が「とりえがないのが とりえです」なんです。
全ての人に愛をこめた言葉、私からのメッセージ。
それが、このブログであり、このタイトルです。
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